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2011.03.03 Thursday

今日の専務 越智家の祖先から専務までの系譜

JUGEMテーマ:日記・一般


久し振りに以前ご好評を頂いていた「今日の専務」を思うところあり、更新させてください。


ずっと前にさかえ屋の成り立ちを書かせていただきましたが

専務なくては創業はできても、継続は難しかったでしょう。

その専務について、あまりフォーカスされていなかったのでここで少々

さかえ屋の成り立ちのおさらいを兼ねてご紹介させて下さい。


専務は私の父の弟で、私にとって叔父さんです。

父の死後は、お父さん代わりでもありました。


~さかえ屋創業の秘密〜

父と母は愛媛の今治出身で、

東京で父がサラリーマン、母は専業主婦として新婚生活をスタート。

時代は戦後ですので、私たちが思うような生活ではなく、

新居は共同住宅で、一つの井戸をみんなで使っていたそうです。

今治弁しかはなせない母は、近所付き合いも難しく、寂しい思いをしたそうです。


まあそんな苦労話は、こちらの昔のブログにもあるので、

今回は時系列にざっと!



父は毎日深夜残業、休日もナシ、

それに比べ、父の会社の社長さんと、自分たちの暮らしが全く違うこと

酒屋出身の母は商売のいろはを知っているという自負があったこと

父に商いの才覚を覚えて、結婚したこと

そういったことが総合的に作用をして

埼玉の大宮で百貨店としてさかえ屋は創業されます。



専務はそのとき

今治の呉服屋さんで働いていました。

そこで父が「東京に来い!」と呼び寄せられたそうです。

専務はその当時をこう振り返ります。

「東京に来るとお金が落ちているのかと思っていた」 (←それくらい今治は田舎で情報がないんでしょうね)


というのも、越智家は男6人兄弟。

長男以外は家を出なくてはならず、自分で口ぶちを探さなくてはなりませんでした。


越智家の兄弟像とその父(祖父)についてもここで、ご紹介します。

長男  ─,△ら   獣医大で勉強中に、学徒出陣し、ビルマにて戦死

次男  忠 ただし   薬剤師として北京で勤めていたが、チフスで病死

三男  隆  たかし  

四男  久  ひさし 

五男  榮  さかえ  (私の父です)

六男  伊都生 いつお  専務

最近今治のお墓参りをした際に見た
┐気鵑諒萇
私よりも若くして見知らぬ南国の地で
亡くなった伯父 心が痛みます。




父の父、私のお祖父さんは軍人さんで、

部下をかばったことで、中尉までしかならなかったそうですが、

それを効いても一家言ある人だと思います。

子供の名前にもこだわりがあり、

私の父の5男まで全て一文字で、これをつなげると

忠隆久榮

となるのですが、これにはこんな意味が

”忠義を尽くせば、家は隆々と久しく栄える”


となり、家父長制が色濃く残っていました。(┐気鵑どう繋がるかは今のところまだ解読不能)




専務は最後に最後に母(私の祖母)が女の子を望み、

生まれたものの男の子で、名前はそのとき尽きていたので、

伊勢で生まれたから、伊勢の都に生まれたということで、伊都生となります。

でもこの名前が3文字だったおかげか、

残りの5兄弟は全て短命で、63を過ぎて生きたことがありませんが、

叔父は76の誕生日をこの2月に迎えることが出来ました。

長生きしてね!



と、ここまで書いて、今日は力尽きました・・・


また書きます・・・・
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